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9.11.2010

September 11

9年前の9月11日
私はニューヨークにいました。




忙しいファッションウィークの真っ最中。疲れ果て寝ていた朝に電話が鳴り、日本の母からだった。日本でニュース速報を見た母が、NYにいる私の安否を心配し、その電話で初めてあの日の事件の始まりを知った。


外に出ると、ワールドトレードセンターのツインタワーの1棟が倒れた直後で、まだ攻撃されていないもう1棟と、そして炎と煙がマンハッタンの空へと広がっていた。言葉も出ない光景が目の前に広がり、ただその場に唖然と立ち恐怖のあまり足がすくんでいた。
大通りへ出ると、ものすごい数の人が北へ北へと1方向へ逃げている光景はとても異様で怖かった。街中が煙と灰にまみれ、叫ぶ人や泣く人、マンハッタン中がパニックで、私は友人と無言でただただ一緒にいることしかできなかった。


電話も繋がらず、何日も誰とも連絡を取ることすらできず、恐ろしい現実の中、ただただひと時も友人と離れず一緒にいることで精一杯だった。何日も経っても、街中が煙にまみれ灰が街中に舞い、街が封鎖され、NYPDとNYFDそして悲しむ人や戦おうとする人が街中にあふれていた。どの公園でも道端でも、悲しみそして恐怖心をシェアする様に人々は集い、キャンドルを灯し輪になっていた。


その頃私はロサンゼルスに住んでいて、ニューヨークには出張で滞在していて、9月11日の便でLAに戻る予定だった。
NYCは封鎖され、その後1週間以上マンハッタンから1歩も出ることもできず、みんなのいる自分のホーム、LAに戻る事はできなかった。ただただ恐怖のあまりそして現実に目にしている光景に、私もそしてひと時も離れずに共に過ごした友人も、言葉数は少なく、ただただ寄り添う様にそして心の傷を癒し合うかの様にずっと側にいた。
あまりにも壮絶な日々に心の感覚も麻痺していた。


LAに戻る飛行機に乗るときは本当に怖かった。たった6時間のフライトだけれど、あんなに死の恐怖を恐れながら時間を過ごしたのは初めてだった。それでも私は自分のホーム、みんながいるLAに帰る必要があった。飛行機の上から見下ろしたマンハッタンは、事件から何日も経っていたのにまだ真っ黒い煙が立ちこめマンハッタン中を包み、その現実を後にする私は心が潰れそうだった。
LAに戻ってからも心が麻痺したまま何日も何日も過ごした。心への衝撃がずっと消えないまま、何を思うのか、どんな言葉にするのか、何も分からず、何もできず、何日も何日も過ごした。


その後、1年間ニューヨークに住むこともあったり、ファッションショーやファッションウィークの度にNYへは出張で行っていた。
でもグランドゼロを訪れることはなかった。
きっとできなかったのです。


数年後、日本から訪れた母の希望で、足がすくむような思いだったがその跡地へと一歩踏み出した。
心も頭もあの頃の記憶がよみがえる様に悲しみと恐怖でいっぱいになり、何も言葉にできず、話すこともしたくなく、そっと1人WTC跡地に立ち、ただただ涙がぽろぽろと溢れ出て止まらなかった。
悲しみの涙。
紛争、戦争、、、多くは語れないけれど、
人が争い傷つけ合い憎しみ合い苦しみ悲しむ光景は、とても悲しかった。




ヨガの教えに「アヒムサ」とあります。
「非暴力」という意味で、人を傷つけないということ。
それは体もそして心も傷つけないということ。
動物もこの世にあるもの全てを傷つけない。
そして自分を傷つけることもしない。


戦争や紛争、様々な問題。たったひとつしかない地球をシェアしその平和を想うこと。
紛争や政治を思い語るだけでなく、自分の周りにある環境、日々の生活の中にいるたくさんの人、何も傷つけること無く生きていたいと思います。
アヒムサ、誰の体も心も傷つけない。今ここにあるライフからしていたいと思う。
巡り会える人すべてに思いやりを持って生きていたいですね。




9年前にそしてその後も今も苦しみ悲しみを背負った多くの人々に平和が訪れますように☆

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